このページの本文へ移動

1 都内米軍基地の歴史

 終戦後の昭和20年~25年にかけてのGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の接収により、旧陸軍立川飛行場が米軍立川飛行場(立川基地)に、旧多摩飛行場が米軍横田飛行場(横田基地)となりました。このほか、通信機能を持つ府中町(現府中市)の旧陸軍燃料厰本部が米第5空軍司令部となり、清瀬村(現清瀬市)の旧海軍大和田通信所、南鳥島、硫黄島通信所などの通信施設、多摩弾薬庫(現多摩市、稲城市)なども接収されています。
 昭和26年9月、日本と連合国との間で平和条約が調印され、同時に日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約が調印され、両条約の発効(昭和27年4月)により、GHQによって接収された施設は、日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第3条に基づく行政協定第2条による提供財産(施設及び区域)として引き続き米軍が使用することとなりました。
 その後、関東平野にある在日米空軍施設を横田基地に整理統合する、いわゆる「関東計画」に基づく府中空軍施設や立川飛行場の返還など、都内米軍基地は漸次返還され、日米安全保障条約発効時、都内208か所(全国2,824か所)あった米軍基地は、昭和28年3月には144か所(全国1,282か所)、昭和45年には18か所(全国124か所)(以上の全国の数値に沖縄県は含まれない。)となり、令和3年10月1日現在では7か所(全国131か所(令和3年3月31日現在))となっています。

お問い合わせ先

基地対策部 基地対策担当
(直通) 03-5388-2146